佑学社50年の物語ストーリー

佑学社50年の物語ストーリー

佑学社は1972年10月の設立以来50年、地域に根差した塾として多くの生徒たちを見守ってきました。

その50年で生まれた数多くのストーリーを50の物語で綴っていきます。

Vol.5 「山本貴祐さん」

山本貴祐さん(60歳)は今から40年以上前に佑学社(当時第一学習センター)を卒業し、学生時代は講師として佑学社で数学を担当。

現在は、公務員として教育に携わるお仕事をされています。

私は中学2年の途中から佑学社(当時第一学習センター)に通い始めました。同じ生野中学の仲間もたくさんいて、友達といろんな話をしながら帰宅するまでの短い時間が楽しみでした。

高校卒業後、大学合格を大橋塾長(当時)に報告したときに、「塾で教えてみないか」と声をかけてもらったことが講師を始めるきっかけだったと思います。

それからすぐに講師研修が始まりました。現在生野本部校の教室長をしている熊谷くんと一緒に、毎日研修を受けました。模擬授業やビデオ撮影などを繰り返し、3月に講師としてデビューしました。

最初に担当したのは中学2年の数学でした。そして2年目には中学3年生を担当させてもらいました。成績の伸び悩んでいる生徒とは、1対1で面談をとり、なんとか生徒のやる気を引き出そうといろんな話をしました。また、ノートを渡してそこに宿題とは別に自分の課題を考え、数学以外の科目もすべてそのノートにやるように指示をして毎週ノート点検をした生徒もいました。そこから火がついて、どんどん勉強をするようになった生徒を見て、私もとてもうれしかったことをよく覚えています。今でも当時の生徒の名前や顔が懐かしく思い出されます。

一緒に講師デビューした熊谷くんとは、授業でうまくいったことやうまくいかなかったこと、生徒にどんな話をしたか、など夜遅くまでファミレスで語り合い、本当に塾講師にどっぷりはまった学生時代でした。

また、当時は教室の生徒もどんどん増えている時期で、講師をしてくれそうな友達を紹介してほしいと塾長から頼まれ、声をかけたのが磯田くん(現佑学社塾長)でした。結局それから6年間、私は佑学社で講師を務めました。あの塾講師としての経験が、今の自分の人生の方向性を決めるきっかけのひとつになったことは間違いありません。

今は塾とはちがった形で子供たちの教育にたずさわっていますが、生徒一人一人の個性を見極めながら粘り強く指導を続けていくことの大切さを痛感しながら、今も取り組んでいます。

学生時代、ともに佑学社の講師として生徒に情熱をもって指導してきた熊谷くんや磯田くんが、あれから40年近くたった今も、当時の想いを持ち続け、佑学社で今も現役講師として授業をされていることは、私にとっても大きな励みとなります。

これからも第一教育センターから始まった、佑学社の「心ある教育をめざす」という教育理念をしっかりと継続し、地域に貢献できる塾として、今後も佑学社が発展していってもらいたいと思います。

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