佑学社50年の物語ストーリー

佑学社50年の物語ストーリー

佑学社は1972年10月の設立以来50年、地域に根差した塾として多くの生徒たちを見守ってきました。

その50年で生まれた数多くのストーリーを50の物語で綴っていきます。

Vol.3 「中島さん親子」

写真右から
中島 孝治なかじま こうじさん(54歳・1983年卒塾)
中島 あめりさん(19歳・2018年卒塾)
熊谷 篤治くまがい とくはる(生野本部校 教室長)

中島孝治さんは、現在54歳。小学校5年生から中学校卒業までの5年間、佑学社(当時第一学習センター)に通って下さいました。孝治さんが中学3年生のとき、まだ非常勤講師として2年目(当時21歳)の私(熊谷)が理科を担当させていただきました。

孝治さんは私のことだけでなく、ほかの先生たちの名前もよく憶えておられました。大学卒業後は、仕事の関係で転勤を繰り返されましたが、現在は生野区にお住まいで、長女あめりさんが中学に入学した際も、「塾に通うなら佑学社」、と迷わず佑学社を選び、親子2代にわたって佑学社に通って下さいました。

娘の中島あめりさんは、田島中学(2022年から田島南小中一貫校)に通う3年間、佑学社生野本部校で学び、その後個別指導トピアでも勉強を続け、この春からは映像文化を学びたいと、関西大学文学部に入学されました。佑学社は、単に実力アップをめざして授業だけを進める大手進学塾とは違い、中学校の定期テスト対策にも力を入れてくれていて、教科書準拠ワークなどはとても役に立ったと振り返ってくれました。

孝治さんもあめりさんも、当時の塾生仲間たちとは、今も親交が深く、「中学校の垣根なく、塾内でできた友達とは、今も気の置けない仲間として大切な存在だ」と話しておられました。

塾は単に勉強をするだけではなく、一緒にがんばる仲間たちとの新しい出会いの場でもあります。自分の頑張りが、クラスの仲間を励ますことになり、また、まわりの仲間の頑張る姿を見て、自分もやる気が出る。そんな環境を提供することも、塾の大切な役割です。

昭和47年に生野区で産声をあげた佑学社は、50年後の今も変わらず、生徒のやる気を引き出し、生徒一人ひとりが自分の目標に向かって努力できる「学びの場」として、今後もこの場所で生徒指導に取り組み、地域に貢献したいと考えています。

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